12月3日(土)15:00から本展のゲスト・キュレーター、ケイト・リム氏によるトークイベントを開催します。
参加アーティスト: ハザム・タハ・フセイン、金洪疇、金根泰、金澤相、李鎮雨、李珍映、李榮林、リン・スターン、石井友人
この度、東京画廊+BTAPはアート・プラットフォーム・アジア(APA)の代表であるケイト・リム氏をゲストキュレーターに迎え、『視感の雄弁』展を開催する運びとなりました。
『視感の雄弁』は視感による統合と知覚の豊さを探求する9人のアーティストによる国際グループ展です。社会的メッセージやコンセプチュアルなレトリックを排除し、個人の反応に開かれた視感の雄弁さを体現する本展の作品は、鑑賞者の生活とのシンプルなつながりを探し出します。展覧会はアート・プラットフォーム•アジア(APA)の企画で、2022年9月に韓国ソウルのGallery Woongで開催されました。また、展覧会のオープニングでは、演劇「The Collector」が上演されました。
「「視感の雄弁」展が東京画廊+BTAPに巡回することを大変嬉しく思います。本展の興味深い作品群が、日本の鑑賞者とまた新たな対話がなされ、人々の視感による認知と解釈に共鳴することを願っています。会期中、演劇『The Collector』の録画映像を英語字幕でご覧いただけます。
アート・プラットフォーム•アジア(APA)は、ある一つのアート作品の中心的な価値は視感的なもの(visual)にあるという共通の信念とするアーティスト、評論家、美術愛好家のグループの支援を受けています。APAはこの設立趣旨に基づき、作品が持つ視感的な力を語る創造的な手法を構築することを目標としています。」(ケイト・リム)
皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。
ハザム・タハ・フセイン
フセインは、顔や人物像を抽象的なフォルムで描き、その上を反復するグリッド状のパターンで覆います。彼はまず、人物や顔、天使などを描き、それを絵の具で覆い、さらに部分的に絵の具を重ねます。最後に、キャンバスの全面に、入り組んだイスラム文様を重ねるのです。描かれたイメージは、画面中でグリッドの下から見え隠れしますが、それは隠蔽と融合の入り組んだ層の重なりを作り出しているグリッドの作用によるものです。彼のイメージは、あらゆる意味で「東洋(イスラム)か西洋か」という視覚的な二者択一に抵抗するものであり、それを定義不可能という水準にまで引き上げて解釈するものです。
金洪疇
キムの極めて独創的なスタイルは、無数の細い筆跡が集まって、キャンバス上にある形を作り出すことにあります。その形は、陰影法や色調の変化のような古典的絵画技法によって決定されるものではなく、キャンバスの上で方向性を持たずに存在感を広げていて、あたかも、短いストロークの筆跡をでたらめに描き続けた結果のようでもあります。それはまるで、金の唯一の関心が、この世界で明瞭に認識されるものの像を描くことではなく、ただ細い筆跡でキャンバスを覆うことにあるかのようです。彼の描画法は、西洋絵画史の原初的な油絵のスタイルに回帰するものとも言えますが、結果として現れるキャンバス上の抽象的な形は、彼の抽象性を生み出す源泉となった現実とは異質なものとなっています。既存の美術批評がこぞって絵画の可能性に悲観的である中、新たな絵画の方法を具現化し、根本的に異なる絵画的話法を切り開いたという意味で、批評家から注目されるべき画家の一人です
金根泰
金の作品はメディアによって二種類に分けられます。一つは石粉と接着剤を混ぜたメディアを自ら調合し、それをキャンバス上に流し込むタイプです。メディアを注ぐ際、その動作は、キャンバスに飛び散らせるようにするのではありません。金はメディアとキャンバスの両者を同期させて操作し、その結果として、作品の特徴である曲線や小さな斑点が現れるのですが、それは、一方ではメディアの特異性によって、他方では、金が身体的に行うキャンバス操作によって作られるものです。
ミクストメディアの作品以外に、油絵のシリーズも制作しています。石粉を混ぜ入れたメディアが筆跡を抑えた表現を可能にするのに対し、バタークリームのような感触の油絵具は、微妙な筆のラインを表すために用いられます。これらの線は水平に描かれ、メディア特有の輝きを放ちます。
金の作品は、「筆(作業)を減らすこと」と「筆を進めること」という概念的に相反する二つの課題が合流する点を象徴するものです。自然物と人工物の融合を可能にしているのは、メディアの素材性に対する金の強い関心と、アーティストとメディウムの繊細な相互作用に他なりません。
金澤相
金はキャンバス上に「純粋な色彩」を作り出すことに重点を置きます。木枠に張る前のキャンバスを顔料溶剤に浸します。水溶液中の絵の具の小滴が時間と共に沈澱し、その後乾燥させます。このプロセスを反復することで、強く薄められた色素の濃縮されたレイヤーが繊細に統合されていきます。キャンバスに色彩を重ねる作業が繰り返されるうちに、重力、太陽光、空気の流れ、湿度などあらゆる自然条件が介入し、再現不可能な儚い痕跡を作品に残していくのです。
金自身の言葉によれば、純粋な色彩の探求は、広い意味において、あたかも色彩が呼吸しているかのように、それを生き生きと表現したいという一般的な芸術的関心に応えるものです。金の色彩は、魔術的であり太陽光の変化に応じてさまざまな表情を見せます。光がキャンバスに温かく溶け込むと、微かな明暗差を持つ色彩から鮮やかな光が溢れ出すのです。
彼の作品は、韓国現代美術の文脈において、芸術作品においてコンセプトを重視するのではなく、個人の芸術的労働に意義を見出す単色画(Dansaekhwa)の流れとの関連において考察されるべきものです。
李鎮雨
李はキャンバス上に、韓紙と木炭がベースの混合物を何枚も重ねて圧縮された素材のレイヤーを構築します。制作過程は実に徹底したものです。木炭の混合物の層を空気が入ることなく韓紙に定着させるために、アーティストは叩く、引っ掻く、かき混ぜるという作業を繰り返し行います。この非芸術的な行為から、思いがけない起伏をもった、立体的抽象面が生まれるのです。李の作品において、色、質感、形状は理性的に設計されたものではありません。それは、素材と作家の労働の驚くべき融合なのです。
李珍映
李の作品の第一の魅力は、彼女が制作方法として選んだ19世紀の写真技法である湿板写真(コロジオンプロセス)の効果から生まれます。湿板写真では、溶液を塗布したガラス板にネガティブ像が作られます。空中を漂うゴミや埃の微小な粒子が、シロップ状の溶液に取り込まれ、鮮明な輪郭線を乱して鮮明なイメージをぼやかし、元のイメージを不明瞭で抽象的なものへと変化させます。李の作品は、リアリズム写真の領域を超越し、写真のメディウムを利用して実現される抽象なのです。
近作では、紗や透明なメッシュにプリントされたイメージを何層にも重ね合わせることで、より高度な表現が可能になりました。レイヤー間の隙間や、素材表面の特徴的な起伏により、作品全体のイメージは、環礁のような感覚を呼び起こします。光を吸収・反射する像が層を成し、合成されてゆくかのようです。
李榮林
木板をメディアとする李の作品は、それをさまざまな形にカットし、彩色し、組み合わせることで作られます。木板をキャンバスの代用とすることで創造的な変化が可能となり、形や、大きさ、厚みなど、自在な差異が得られるのです。この「多角形のキャンバス」が組み合わさることで、木板パネルの間には、ある種の知覚的な関係が形成されることになります。それは、大きさや位置を並列する中で生まれる視覚的な対話であり、近似していない形がもたらす釣り合い、粗く不整形の木板が集積されることで現れる思いがけない美的衝撃なのです。
リン・スターン
リンの写真作品は、ぼんやりとした光に包まれた物体を抽象的造形としてとらえたものです。半透明の白い布幕を媒体とし、間接的な自然光によって逆光で照らすことで、モノクロのドローイングを仕上げます。幕の背後に置かれた物体の抽象的な形が、柔らかい光の輝きによって描き出されます。彼女の作品において光は、手触りと空間性を備えた運動となり、その運動は、リンが抽象化を通じて追求する言語化不可能な本質へと導いてゆくのです。
石井友人
石井の”サブイメージ“シリーズのいくつかの作品は、独特な線の使い方で描かれています。補色関係にある二本の線が、互いに並行に、ときに重なり合って、植物・植木鉢・人物などをかたどるために用いられ、また描かれていない剥き出しの白の部分が残されているため、絵はあたかも未完成であるかのように見えます。二重の線で描かれたイメージは焦点の外れた写真イメージのようにも見えますが、その一方で、一本の線は別の線の影として作用し、対象物に微細な振動のような感覚を与えてもいます。石井の絵画は、世界において視感が確証しているものを暗示的に批判し、「見えているもの」の儚く不確かな性質を独自の方法で翻訳しているのです。
WORKS
李鎮雨
李鎮雨(Lee JinWoo)は1959年、韓国、ソウル生まれ。1983年に韓国の世宗大学を卒業後、1986年に渡仏し、パリ第8大学造形美術学を卒業、パリ国立高等美術大学を卒業。現在はパリを拠点に活動しています。李はパリ留学中、李はイタリアのストロンボーリ島で火山の噴火を偶然目撃し、衝撃を受けます。火山灰を持ち帰った李は、それを自身の作品モチーフとしました。
李は炭を撒いた上に韓紙を乗せ、鉄のブラシで叩くという作業を何層にもわたって繰り返すことで、特有の質感をもったモノクロームの画面を作り出します。作家はこの作業について、自身に内在する「何か」を、「頭」または「脳」の介在なしに表出するための手段だと語っています。概念や思考の干渉を防ぐために必要なのが、強い労働の繰り返しなのです。
李の作品は、国際的再評価の機運がある韓国の単色画(Dansaekhwa)の「行為の反復」「修行」「精神性」という要素にも一致します。
石井友人
1981年生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了。自ら撮影した写真や既存のイメージをソースとして絵画化し、情報の受容装置としての視覚を問題化した作品を発表している。近年は観葉植物をモチーフとした油彩とUVプリントによる、天地反転したダブルイメージの絵画を制作し、都市空間と不可分な人間の記号的認識を変容させる試みを行なっている。アーティスト活動とともに「わたしの穴 美術の穴|地底人とミラーレス・ミラー」などキュレーション活動も展開している。
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