Tokyo
李康昭
1990/10/22–11/2
掲載評論:李逸「絵画的、余りにも絵画的な」
Tokyo
1990/10/22–11/2
掲載評論:李逸「絵画的、余りにも絵画的な」
李康昭(Lee KangSo)は1943年、韓国・大邱で生まれました。1965年にソウル大学絵画科を卒業し、現在は京畿道安城を拠点に制作しています。1950年代の韓国では、戦後第一世代を中心にアンフォルメル運動が隆盛していました。その後続世代にあたる李は、1969年、ソウル中心の権威的画壇から離れ、圧政下の困難な状況で前衛グループ「新体制」を結成します。1974年には故郷の大邱で「大邱現代美術祭」を開催し、地方における実験美術の活性化に貢献しました。現在、「大邱現代美術祭」は若手作家が前衛的な作品を生み出す場として高く評価されています。パフォーマンスやインスタレーションなど前衛的な実験美術に集中した李の代表作は、1973年に明洞画廊で発表された《消滅;画廊の中のバー》です。古い居酒屋の家具を配置し、酒やつまみを提供するこのパフォーマンスにおいて、李は瞬間の生成と消滅を観客と共有することを試みました。
その後、絵画に関する研究を開始した李は、パフォーマンスのプロセスを伝統絵画の平面に実現することを目指します。キャンバスの糸を引き出したり、シルクスクリーン印刷を施したキャンバスを用いるなど、1970年代の媒体に関する実験を経て、80年代に入ると、美術教育で身につけた習慣的な筆使いから離れた新しい表現を模索しました。
1980年代後半から、李の関心は清らかで生き生きとした自然へと向かいます。1990年以降の作品には鴨や浮舟、鹿などの特徴的なモチーフが現れますが、李はそれらを対象として描写するのではなく、「筆画」と「気運」に従った表現へと昇華します。描写しようとする欲望を捨て、清澄な精神と柔軟な身体を用いて、淀みない筆遣いから生まれる世界には、韓国の「風流」思想が反映しています。李が目指すのは、西洋的な世界観を離れ、真実の直観と安息を観客と共有することであり、その作品は単に思想を伝達する手段ではなく、参加と対話のエネルギーが相互に作用する構造体となるのです。