Tokyo
宮澤男爵 宙吊り
2010/3/20–4/17
トークショー
3月20日(土)|15:00-16:00
宇野常寛(批評誌「PLANETS」編集長・批評家)
オープニング・レセプション
3月20日(土)|17:00-19:00 東京画廊 + BTAPにて
東京画廊 + BTAPはこの度、宮澤男爵個展「宙吊り/ in mid air」を開催いたします。宮澤男爵は2004年に東京都が主催する公募展「ワンダーウォール展」で入選。2008年に古林希望との二人展「消息comings and goings」を開催以来、グループ展やアートフェアで作品を発表しています。宮澤にとっての初の個展となる本展では、近年に作家が描き上げたドローイングの作品群を、大量に展示する予定です。
西洋の絵画の伝統は、肖像画、風景画、静物画の区分を常に継承してきましたが、20世紀初頭の抽象絵画の登場は、そのカテゴリーを無効化してしまいました。貨幣という抽象的手段が世界に市場を広げたように、抽象美術も近代的世界に広がりました。昨今の日本で具体的絵画が復活し注目されたのも、実は抽象絵画が世界を席巻したことを前提としているのです。
近代の肖像画が個性を表現していたとすると、あらゆる個別性を市場で交換してしまう現代において、肖像画は何を意味するものでしょうか。どんなに具体的な形象を描いていても、市場では抽象的な価値に還元されてしまいます。パロディーとして、あるいはナイーブな感性をもって示した日本の現代アートの人物造形は、もはや肖像とは遠い所に位置するはずです。
宮澤男爵は、上述のような市場と完全に分け隔てられた空間で、つまり美術教育を受けずに、作品を制作してきた作家です。鉛筆と水彩を使って描かれたドローイング作品には、無数の丸や点で構成された人の形が表されています。繊細かつ極細の筆致は、具体的な形となって画面上を移ろいます。そしてこの束の間の移ろいを宿す紙面こそ、市場拡張によって薄められた現代人の「個性」が顕現する場なのです。
作家コメント
「私は中間性または宙吊り状態の絵を描きたいと思っている。つまり、一つの形にとどまらないイメージとして、現れたり消えたり、纏まったり散らばったりするものを描きたい。表現として動きがあって、余白を孕んだ空っぽなイメージ。一方、固まった絵具、水だらけの水彩の模様、液体で強調された紙の繊維によって存在感を持つ表現を生み出す。真空と物質性の間に宙吊りになった形象。幽霊のような半透明性と、紙を破ったり線を消す行為によって成り立つ肉体性との形象。私の宙吊りになったイメージは「地に足が付いていない」。それは、「具象のようなはっきりした輪郭を持たない表現」でありながら、「留まらない思いを起こす絵の知覚」を目指す芸術で、観客を「広がりを持つが閉じた世界」に導く絵なのである。」
掲載評論 :宇野常寛『チャイルディッシュであることと「粒」への縮退』