岡本信治郎(1933-2020年)は都立日本橋高等学佼を卒業後、独学で水彩画をはじめました。1960年代に入り、簡潔な線描とアクリル絵の具の明るい色彩を用いた画風を確立します。1962年、1963年にシェル美術賞展で佳作、1964年に第1回長岡現代美術館賞展で大賞。以降、東京ビエンナーレ、現代日本美術展など国内外の展覧会に出品。近年では、ポップアートを世界的な文脈で紹介する「International Pop」展(ウォーカーアートセンター、ダラス美術館、フィラデルフィア美術館を巡回)に出品されるなど、戦後日本の一傾向を示す美術家として、国際的な評価が高まっています。東京画廊での第1回個展は 1966年に行っています(『虫 世界―あるいは大群の風景』)。また制作の傍ら、凸版印刷株式会社のアート・ディレクターとして勤務し、81 年までデザインの分野で活躍した一面を持ちます。
岡本はその長いキャリアにおいて、異なるスタイルによる多くのシリーズを展開しました。主題は下町の大衆文化から美術、宗教、歴史など多岐にわたります。作品は綿密なスケッチをもとに生み出され、感情を排した筆遣いによる形象が賑やかに画面に配置されます。リトグラフやシルクスクリーン、立体絵画、オブジェと、同一のイメージで色・サイズを違えてヴァリエーションを作るのは、「おかしんワールド」の真骨頂であり、展示スペ ースを圧巻のスペクタクルへと転じさせます。明るい祝祭的な画面空間には、観客を楽しませながらも迎合しない、台風の目のような静けさがあります。
本展では1980年以降の作品を展示いたします。チャップリンの初来日を題材にした《チャップリンの来日》 (1984年)、ブリキの玩具をモチーフにした《サーカスプレーン》(1983年)、幼少期の戦闘機への興味に発する《ゼロ戦》(1984年)など、日本の国威発揚の真っ只中で成長した少年の原風景が、独自の表現言語によって表現されます。その一方で、岡本の作品に現れるユーモアは社会批評に根ざしており、大衆性が映し出される賑やかなイメージも客観的で鋭敏な視線を感じさせます。
WORKS
岡本信治郎
岡本信治郎(1933-2020年)は都立日本橋高等学佼を卒業後、独学で水彩画をはじめました。1960年代に入り、簡潔な線描とアクリル絵の具の明るい色彩を用いた画風を確立します。1962年、1963年にシェル美術賞展で佳作、1964年に第1回長岡現代美術館賞展で大賞。以降、東京ビエンナーレ、現代日本美術展など国内外の展覧会に出品。近年では、ポップアートを世界的な文脈で紹介する「International Pop」展(ウォーカーアートセンター、ダラス美術館、フィラデルフィア美術館を巡回)に出品されるなど、戦後日本の一傾向を示す美術家として、国際的な評価が高まっています。東京画廊での第1回個展は 1966年に行っています(『虫 世界―あるいは大群の風景』)。また制作の傍ら、凸版印刷株式会社のアート・ディレクターとして勤務し、81 年までデザインの分野で活躍した一面を持ちます。
岡本はその長いキャリアにおいて、異なるスタイルによる多くのシリーズを展開しました。主題は下町の大衆文化から美術、宗教、歴史など多岐にわたります。作品は綿密なスケッチをもとに生み出され、感情を排した筆遣いによる形象が賑やかに画面に配置されます。リトグラフやシルクスクリーン、立体絵画、オブジェと、同一のイメージで色・サイズを違えてヴァリエーションを作るのは、「おかしんワールド」の真骨頂であり、展示スペ ースを圧巻のスペクタクルへと転じさせます。明るい祝祭的な画面空間には、観客を楽しませながらも迎合しない、台風の目のような静けさがあります。